東京新聞 2014年2月19日より引用
墓石の前。34歳で昨年1月に急逝した妻から呼び掛けられた気がした。「いつまでも立ち止まってるんじゃないよ。前向いて生きなさいよ」。悲しんでばかりいられない。JR東日本勤務の石山和秀さん(35)=埼玉県春日部市=は昨年8月、思い出の東京マラソンを走ることを決めた。
初めてこの大会を駆けた二〇一〇年二月、交際十カ月の久美子さんにプロポーズした。ウエストポーチにしのばせた指輪をゴールで手渡した。翌年夏、久美子さんが「夏妃(なつき)」と名付けた長女のなっちゃんが生まれた。
でも、幸せな日々は続かなかった。一二年一月、久美子さんの首にしこりが見つかった。最初の病院で原因は分からず、夏に肺がんと診断された。看護師だった久美子さんはCT画像を見た瞬間、「(病巣が)大きい」とつぶやいた。
化学療法が続く中、容体が急変したのは一三年の元日。激しい頭痛と吐き気。薬も効かなかった。緩和ケアに切り替えた後、久美子さんは旅立った。
亡くなる間際、手渡された何通もの手紙がある。なっちゃんが小学生になる時、中学生になる時…。節目に手渡してほしいと言われた。石山さんには「あなたの人生。良い人がいれば」とつづられていた。
久美子さんが今も大好きだ。「つらい毎日だったけど、子どものためにもしっかりしないと」。最愛の人を思い、四二・一九五キロを力の限り走る。 (上條憲也)
約三万六千人が首都を駆け抜ける「東京マラソン2014」(東京マラソン財団主催、東京新聞など共催)の号砲が二十三日、鳴り響く。愛する人や東日本大震災の被災地、そして六年後の東京五輪を見つめ、参加する思いを聞いた。
久美子さんが亡くなる間際、手渡された手紙
。なっちゃんが小学生になる時、中学生になる時…。節目に手渡してほしいと言われた。石山さんには「あなたの人生。良い人がいれば」とつづられていた記事を読んで、涙があふれました。
石山さんの先のことまで心配して手紙に書いた久美子さん。感動するお話です。
石山さん子供さんのためにも頑張ってください。
ご冥福を心よりお祈り致します。