母の放射線と抗がん剤の治療は続き、抗がん剤を点滴するときは入院もしていました。
抗がん剤の副作用もかなり苦しくて、吐き気が止まらずに、食欲もない、髪の毛は抜ける、見ているのも辛い様子でした。でも担当の先生は、手術をしなくても治せると言ってくれていましたので、母もあきらめずに頑張っていました。

そして初期のがんだったので、放射線と抗がん剤でガン細胞は無くなりました。
うれしかったですね。母もすごく喜んでいました。
ただし、放射線と抗がん剤の後遺症は残っていましたが。後遺症は、唾液が少ないので食べ物を飲み込むのが大変で、お茶や水と一緒に飲み込んでいました。
それでも、ガンが治ったと思うと母も元気がでていました。
その後は、何事もなく平凡な日々を数年過ごしました。
しかし、数年後またガンが再発してしまいました。今度は首のリンパに転移していました。
悲しくて辛かったですね・・・ 母は今まで想像もできないぐらいの苦労をしてきて、現在も辛い目にあってこの先も苦しまなければいけないのかと。 涙が止まりませんでした。
母もかなり落ち込んでいましたが、先生からは手術で取れる大きさだからと言ってくれましたので、少しだけ安心していたと思います。
この頃から私は、ガンについていろいろと調べたり、ガンが治ったなどの本を買いまくっていました。
健康食品やガンを治した民間療法などの本が多かったと思います。

今思えばそんなに簡単にガンが治る訳がないと思いますが、その時の私は何もしないと落ち着かず病院以外で治せる方法が絶対にあると、本を読んでいくうちに洗脳されていたと思います。
手術は成功して、ガンの細胞はかなり取れたと先生から話があり、実際に取った細胞も見せてくれました。
かなりの大きさで、ガン細胞が無いと思うところまで切り取らないと、肉眼では見えない細胞が残っている場合があり、また再発してしまうそうです。
喉のリンパの近くを切り取って、母の首の部分は抉りとられたようになっていました。
それでも手術は成功したので、母もしかたないと前向きになっていました。
手術の後遺症はほとんどなく、日にちが経つにつれて母も明るさを取り戻していました。
もう再発はしないでくれ、そう思い願う日々が続きました。
母は他にも、リウマチの病気にもかかっており、関節や指などが常に痛くて、朝起きた時などはすぐに動けない日もありました。
母の性格は、とにかく神経質で正確に決めてその通りに行動しないと苛立つ性格でした。決めた時間に待ち合わせをしても、15分ぐらい前には待ち合わせ場所に着いて待っています。
きちっと決めていかないと納得をしない性格でした。そういった性格も病気になる一つの原因かもしれません。ストレスがたまってしまいます。
それから再発もなく私も結婚をして、母の家の近くに住むようにしました。長女も生まれて幸せな生活を送っていました。

しかし、数年後またガンが再発してしまい、もうどん底の気持ちになり、妻の見えない所で泣き続けていました。また手術ができるのか? もう何回も手術をしても治らないのか? 私の気持ちも落ち込んでしまい、立ち直れない日々が続きました。
苦労した人をまだ苦労させるのか? 父のせいも含めて腹が立ち、悔しくて涙がとまりませんでした。
今度の再発に対しては、顔のアゴの部分を切って、めくらなければいけないと言われ、手術後は顔に大きな傷跡が残ると説明がありました。
さすがに母も、2回目の手術が不安で、顔をめくり手術が成功しても、また再発するんじゃないかと思ってしまい、
手術をするのを迷っていました。
私も前回の1回目の手術なら、頑張ろうと言って勧めましたが、今度の手術は何も言えなくなってしまいました。今となってはなぜこの時に、2回目も頑張ろうと言わなかったのか、一生の後悔をしています。
母も2回目の手術は断ってしまいました。ちょうどその頃、私が住宅を新しく購入することになり、母と一緒に暮らそうと決めていました。
一階を2部屋つくり、玄関も別々にして1部屋を母の部屋として作りました。ミニキッチンやトイレや風呂など、母の部屋だけで生活ができるように作りました。
母が部屋に引っ越してきてまもなく、首のリンパの再発したガンが少し大きくなってきました。