
それからは平穏な日々が続き、私も高校生になり高校を卒業して就職をすることに決めました。
おかんも毎日、朝から夜遅くまで働き私を育ててくれました。
その時住んでいた家は、借家の古い文化住宅で、畳の2DKで風呂なしでした。今現在は。もちろん風呂付の家ですが、昔の事を思い出すと、今は本当に贅沢をしていると思います。
今の普通の生活がどれだけ幸せなのかと、しみじみ思います。平凡ですが、普通に食事もできて風呂も入れて睡眠もとれます。
現代社会は、贅沢病があり、刺激や欲求を求めすぎているのかもしれません。
何も特別なことは無いが、普通に生活できることが幸せですね。

そして私も社会人になり、普通の会社員として働くようになりました。自分の給料が入るともちろん母にも渡していました。 私も少し浪費癖があり、お金を持っていれば持っているだけ使っていましたが(笑)
平凡だけど幸せな生活が続いていました。でも長くは続きませんでした。私が23歳のとき、まだ母親と二人暮らしをしていましたが、ある日おかんが、喉の調子が悪い何か喉に出来ていると言っていました。
数日経っても治まらないので、病院に行くことにしました。近くの耳鼻科に行ったと思いますが、大きい病院を紹介されました。
そして、診断結果を聞いて私も呆然としました。医者からは中咽頭がんと宣告されました。私も母も何が何だか分からず、その時はパニック状態になっていました。
え、がん? なんかの間違いやろ? がんって死ぬ確率が高い病気やん・・・

おかんは今までずーっと苦労してきて、やっと自由を手に入れて、自分で稼いできたお金で自分の物が買えると大喜びして。そんな生活が少しだけ続いて幸せやったのに・・・
なんでガンにならなあかんねん。悔しくて辛くて涙が止まりませんでした。
数日間落ち込んでいましたが、俺が落ち込んでいたらあかん。母一人子一人やねんから、元気を与えて絶対にがんを治したると決めました。
幸いに医者からは、初期のがんと聞き、まだ治る可能性はあると聞きました。
中咽頭がんは、5年生存率が厳しいがんです。上咽頭がん 下咽頭がんとあり、生存率も中間になります。
治療は放射線療法と化学(薬物)療法 抗がん剤をすると聞きました。まだ手術をしないので良かったと思っていましたが、放射線と抗がん剤の副作用はすさまじく、苦しい副作用との戦いが始まりました。
おかんは仕事をしながら、通院で治療をしていました。 放射線の副作用は唾液が出るのが少なくなり、食事が普通に入りにくくなります。飲み物と一緒に飲み込まなければ入っていきません。
そんな苦しい治療とおかんは戦いました。 私も何かしていかなければと思い、買ったばかりの車を売りました。中古車でしたがまだローンも残っており、無駄な支払いになると思いました。
ローンを払っていくのなら、おかんの治療代にあてようと決めたのです。
車はすぐに高く売れました。車を引き取りに来たときは辛かったですね。ずーっと見送っていました。