
私が小学5年生の時に母と二人家を出て幸せな生活をしていましたが、また辛い出来事にあってしまいました。
いじめも少なくなり、また普通の楽しい生活を過ごしていた中学1年生の時、いつものように家に帰ると、なんと父親が家にいたんです!!!
私は心臓が止まるくらいの驚きだったと思います。見つかった原因は、もう大丈夫だろうと住民票を正式に移しかえたことで、父が調べて探しあてたことだと思われます。
母もかなりのショックで、とにかく家には上げさせずに、その日は何とか帰らせるようにしました。しかしその後、何回も電話がかかってくるようになり、母も半分またノイローゼ状態になっていたと思います。
父親も何とか前の生活に戻って、母に働かせたいと考えていましたので、ある作戦にでたのです。
それは、私を父親の現在住んでいる家に連れて行き隔離して、母を呼び戻すという行動にでたのです。
私は数日間、父の住んでいる家で生活をしました。父は仕事を休み普通にやさしく接してきました。
でも早く母の元に戻らないとという気持ちがあり、一瞬のすきを見つけて父の家から逃げ出すことができたのです。
その後、親戚の叔父に電話して迎えに来てもらい無事に母のもとに帰ることができました。
そんな事があり、また逃げることを決めました。
私は、母の実家がある九州に逃げ、母は大阪のどこかで一人で逃げることになりました。一緒に逃げるとまた捜される確率が高くなるので、離れて暮らすことになってしまいました。

そして、私は九州で母の妹の叔母とおばあちゃんとの3人で中学生の生活を始めることになってしまいました。またいじめられるのかなと思っていましたが、九州の中学の生徒は悪質な人はおらず、いじめに合うことはありませんでした。ケンカの強いヤンキーはいたと思います。
転校2回目の私の中学生活が始まりました。九州の中学は普通に過ごしていましたが、思春期の私を育ててくれた叔母とおばあちゃんには、かなり苦労をかけたと思います。今は二人とも亡くなってしまいましたが、天国から時々見守ってくれているかもしれません。
叔母さん おばあちゃん ありがとう。
そして、中学3年生の時にまた母と暮らすことがきまり、大阪に戻る事になりました。これで転校3回目になります。
ここでまた親父に見つかってしまいましたが、私ももう中学3年生になったので、もうそれほど父親のことは怖くありませんでした。いろいろと話をした結果、親戚の叔父にも入ってもらい父親と母親との正式な離婚が決まりました。
やっとこれで自由になれたと、安心な気持ちでおかんとの生活が新たに始まりました。